人事労務

労働者(従業員)の行為によって会社に損害が発生した場合に、従業員に対する損害賠償請求は認められるのか?

労働者(従業員)の行為によって会社に損害が発生した場合に、従業員に対する損害賠償請求は認められるのか?
目次

1. 従業員に対する損害賠償請求の可否

従業員が自社の備品を壊したり、業務上のミスによって会社に損害を与えた場合に会社は損害賠償を求めることができるのでしょうか。

結論としては、会社は損害賠償を求めることが出来ます。その際は、債務不履行に基づく損害賠償請求(民法415条及び416条)と不法行為の基づく損害賠償請求(民法709条)の二つの根拠が考えられます。

ここまでは通常のBtoBの取引などと異なる点はありません。

もっとも、従業員に対する損害賠償に関連して、通常の取引とは異なるルールが労働基準法に定められています。

2. 違約金・損害賠償額の予定の禁止

(1) 労働基準法16条による制限

通常の取引に関する契約書においては、契約違反があった場合の違約金や損害賠償額について定めを置くことがあります。これは、契約違反があった際に損害の立証が困難であることが少なくないことから、立証の負担を軽減することなどを目的としています。

会社によっては、従業員も会社との労働契約に違反して損害を与える可能性がある以上、同様に違約金の定めを置きたいと考えることもあるでしょう。

しかし、労働基準法第16条により、会社は、従業員の労働契約の不履行について、違約金を定めたり、損害賠償額を予定する契約をしてはならないとされています。

(2) 労働基準法16条の趣旨

上記のとおり、労働基準法16条によって労働契約における違約金や損害賠償額の予定の禁止を合意することが禁止されている趣旨は下記のとおりです。

  • 会社は従業員を雇用し指揮命令下に置く有利な立場にいるため、その立場を理由として高額な賠償金の合意をする可能性があり、それを防止する必要があるため
  • 違約金や損害賠償額の予定によって従業員の退職の自由が事実上制限されてしまう可能性があり、それを防止する必要があるため

会社の中で慣習的に行われている「罰金制度」の様なものがある場合には、労働基準法16条に違反するものではないかを慎重に検討する必要があります。

(3) 労働基準法第16条に違反した場合のペナルティ

労働基準法第16条に違反した場合、労働基準法第119条1号に定める罰則を受けることになります。

3. 損害賠償請求が可能な範囲

(1) 労働基準法第16条と損害賠償請求の可否

2.にて前述した通り、労働基準法第16条が禁止しているのは、違約金や損害賠償額を予定することです。そのため、実際に従業員が労働契約上の義務に違反して会社に損害を与えた場合に損害賠償請求をすることを禁止しているものではありません。

(2)損害賠償請求の範囲

会社が従業員に対して損害賠償請求をを行う場合、その範囲が一部制限されます。

これは、会社は従業員を指揮命令下において業務を行わせることで利益を得ている以上、一定の不利益(損害)については甘受すべきであるという報償責任の原則という考えに基づくものです。

そのため、労働者が業務上ミスを行った場合に、そのミスの程度に関わらず会社の損害賠償請求が認められるわけではない点に注意が必要です。

また、会社の損害賠償請求が認められる場合であっても、発生した損害の全ての責任を従業員に負わせることが妥当ではないケースが存在します。従業員の損害の発生に対する責任の重さや、会社が損害発生を防止するために講じていた施策の実施状況等によってその損害の負担額が軽減されることがあります。

従業員の故意または重過失によって損害が発生した場合であっても、必ずしも全額の負担を求めることが出来るわけではない点に注意が必要です。

4. 就業規則における記載の仕方

従業員に対する損害賠償請求は民法に基づく行うものであるため、就業規則への記載は必須ではありません。

もっとも、業務上のミスによって損害賠償請求をされることは無いと考えている従業員がいる可能性もあるため、そういった従業員への啓蒙の趣旨で記載しても良いでしょう。

具体的には下記のような定めを置くことが考えられます。

第●条(損害賠償)

従業員が故意または過失によって当社に損害を発生させた場合、当社は当該従業員に対して、当該損害の全部または一部の賠償を求めることがあります。

5. 裁判例

(1) サロン・ド・リリー事件(浦和地裁昭和61年5月30日・労判489号85頁)

(事案の概要)

美容室を経営する会社である原告が、元従業員に対して在職中の講習手数料の支払を請求した事案です。

原告会社では、従業員に対して入社当初から美容技術等に関する指導を多額の費用をかけて行っていました。しかし、原告会社の指導による美容技術を身につけつつ、原告会社の意向を無視し勝手に会社を辞めてしまう者がいるため、そのような退職を防止する必要がありました。そこで、原告会社は従業員に対し以下の内容を記した誓約書を提出させていました。原告会社がこの誓約書に基づき元従業員に対して在職中の講習手数料の支払を請求したところ、当該誓約書の合意内容が労働基準法第16条に違反し無効であるか否かが争点となりました。

「万一、私が会社からの色々な指導を自分の都合でお願いしているにもかかわらず勝手わがままな言動で会社側に迷惑をおかけした場合には、下記のことをお約束します。記、1、指導訓練に必要な、諸経費として入社月にさかのぼり一か月につき金四万円也の講習手数料を御支払いいたします。2、上記講習手数料は、会社より請求があつた日より一週間以内に御支払いいたします。3、それ以後は、金利(月利三パーセント)を加算することとします。但し、私の態度によつて、会社側より講習手数料を、請求されない時は支払義務なしとさせて頂きます。」

(判決の概要)

裁判所は、まず、労働基準法第16条の趣旨について以下のとおり判示しました。
※太字は本記事の執筆者による

「労働基準法第一六条が使用者に対し、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償を予定する契約をすることを禁じている趣旨は、右のような契約を許容するとすれば労働者は、違約金又は賠償予定額を支払わされることを虞れ、その自由意思に反して労働関係を継続することを強制されることになりかねないので、右のような契約を禁じこのような事態が生ずることを予め防止するところにある」

その上で、本件の誓約書の様な合意内容が労働基準法第16条に違反するか否かは以下のとおり諸般の事情を考慮して総合的に判検討する必要があるとした。

当該契約が同条に違反するか否かを判断するにあたつては、当該契約の内容及びその実情、使用者の意図、右契約が労働者の心理に及ぼす影響、基本となる労働契約の内容及びこれとの関連性などの観点から総合的に検討する必要がある。

上記判断基準に基づき、裁判所は、本件における指導の具体的内容(技術指導・常識ある社会人への指導等)、指導を受けた者が突然退職されると不都合であるから誓約書を締結することを従業員に説明していたこと、従業員が誓約書の締結に応じた経緯(他の従業員が教わっている内容を教えてもらえなくなること)、指導には特定の曜日の勤務時間外に集合トレーニングとして実施されるものと希望者に随時実施するものがあったこと、指導の対象にはアルバイトも含まれていたこと、指導のために原告会社負担する費用は指導者の人件費が主であり、その指導者にも給料とは別個の名目で指導料などの支給を行っていないこと、従業員の業務内容と指導で教わる内容が極めて近似していること、講習手数料の金額が給与額の高い比率を占めること等の事実を認定した。

そして、下記のとおり労働基準法第16条に違反し無効であると判断した。

本件契約の目的、内容、従業員に及ぼす効果、指導の実態、労働契約との関係等の事実関係に照らすと、仮令原告が主張するようにいわゆる一人前の美容師を養成するために多くの時間や費用を要するとしても、本件契約における従業員に対する指導の実態は、いわゆる一 般の新入社員教育とさしたる逕庭はなく、右のような負担は、使用者として当然なすべき性質のものであるから、労働契約と離れて本件のような契約をなす合理性は認め難く、しかも、本件契約が講習手数料の支払義務を従業員に課することにより、その自由意思を拘束して退職の自由を奪う性格を有することが明らかであるから、結局、本件契約は、労働基準法第一六条に違反する無効なものであるという他はない。

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